大神楽も無事に終了して、はや一月になろうとしていますが、公民館で反省会を行いました。…今頃になって?と言われそうですが
公民館の役員や婦人会・臼太鼓のメンバーなど皆さんの支えがあってなし得た大神楽です。
山里の神楽は地域全体で守られてきたものです。
最近は、神楽ブームや世界遺産登録の流れ、諸塚神楽の国指定の文化財登録への調査などでいろんな研究がなされています。
また、本来の神楽の本質とは違った公演の招致やイベントへの出演依頼など脚光を浴びている事は喜ばしいことではあります。
しかしどうでしょう?一部のイベントでは時間の制約で本来の演目を縮めて上演したり、見物客に受けるような演目だけを見せて、その神楽を評価するような流れは本当の神楽と言えるでしょうか?
場所によっては高天原(たかまがはら)と言われる神棚も祀らないで行う神楽は、もはやおどりのレベルでしかないと思います。
※少なくとも桂神楽は神事(かみごと)であり、神前に奉納する神楽であると思っています。
地域の伝統や魅力を発信することは何も否定するものではありませんが、神楽の舞姿だけが独り歩きして地域の中で守られてきた独特の風習や、地域な方々の裏支えの姿がないがしろにされているように思えてなりません。
神楽はその地域で見て評価していただくのが、私たち舞手も納得のいくものが出来ると思います。
一口に神楽と言っても、芸能集団のような営利神楽があったりと、一概に言えませんが、宮崎の山間地の当桂神楽は、地域で守られてきた伝統文化であり、神事であることを忘れてはならないと思います。
遠征や公演はそのような心構えのある地域に任せれば良い。
たとえ、自然消滅する日が来てもそれは、伝統や文化を守り続けてきた地域がなくなる事であり、何も不思議な事ではないと思っています。
ただ、今回の大神楽で地域外から舞手として数名協力頂き、神楽を教えていく中で違った保存伝承の考えも出来るようになりました。
思えば桂神楽を伝承してきた先人たちも、桂以外の地域に伝授することを行っていたわけで、地域外に「かつらぼうり」を育てることも必要な事だと思いました。
私が神楽を舞える間は精一杯の努力をしていこうと思えた夜でした。